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一般文芸(小説)のアニメ化が流行らない理由の一端を見た。ラノベとの比較

どうもです。
もしかしたら一般文芸なのかもしれない戯言シリーズのアニメ化が決定して、思いがけずトレンディな話題に触れることとなりました。

話題というのは一般文芸のテレビアニメ化についてです。


毎クール新たに放送される深夜アニメは大量にありますが、その中で一般文芸を原作としたアニメというのは数えるまでもなく少ないですよね。
今期アニメで言えば『ジョーカー・ゲーム』くらいのものです。

2012年に『氷菓』や『新世界より』がアニメ化されたあたりから、一般文芸のアニメ化が多くなってくるのではないかと個人的には期待していたのですが、いまいち流行りませんでした。


なぜなのか。


結論を先に書いちゃうと、その理由のうち一つはビジュアルのコンセンサス(共通イメージ)が取れていないから

そう感じた理由から書いていきます。

戦闘妖精・雪風』というアニメ

このGW中に『戦闘妖精・雪風』という小説を読みました。

ハヤカワ文庫JAから出版されている本です。レーベル的にいうとライトノベル*1寄りの一般文芸といったポジションですが、少なくとも表紙はアニメ絵ではない本です。

この小説の登場人物の一人にブッカー少佐という軍人がいます。
ブッカー少佐は、主人公の良き理解者かつ上司であり、ブーメラン好きでもあり、ストーリー進行上非常に重要な役割を担っているキャラクターです。

私は小説を読むときには、ある程度その情景を思い浮かべるタイプでして、登場人物の容姿もある程度頭のなかでイメージします。

ブッカー少佐は私の中では、俳優で言えばマッチョなブルース・ウィリス
あるいはアニメキャラで言えば鋼の錬金術師のアームストロング少佐でした。

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(公式サイトより)


この『戦闘妖精・雪風』という小説を読み終わってから、初めてアニメ化もされていると知り、さっそく公式サイトを覗いてみました。
そこにはアニメ版ジェイムズ・ブッカー少佐のイラストが。


f:id:ryumesa:20160505011909p:plain

(公式サイトより)

誰だよ!?

なんだこの爽やかそうだけど若干の憂いを感じさせるイケメンは!

ムキムキ元気なおっちゃん想像してたのに全然違う!


f:id:ryumesa:20160505011847p:plain:h140小説からのイメージ
f:id:ryumesa:20160505011909p:plain:h140実際のブッカー少佐



ついでに言うとアニメ版主人公もイメージよりアゴが長かったです。


あまりのイメージの違いにこのアニメの視聴は当分先送りすることにしました。ただ、主人公の声をあてているのが堺雅人なので、そこは少し気になります。

一般文芸とラノベ比較

長々と書きましたが結局、自分が思い描いていたイメージと実際の作品が異なっていたという実にありがちな話です。

だけど例えばこれが、同じく文字媒体であるライトノベルであればこうはならなかったでしょう。表紙などで既に、ビジュアルはある程度決められていますから。
大方の読者のなかでのイメージは一致しているはずです。
ラノベの表紙イラストに対する批判の一つに”イメージが制限される”というものがありますが、アニメ化に際してはそれがかえってプラスに働くということですね。


それに対して一般文芸作品では、キャラクターに限らず作品世界のビジュアルについてほとんど、あるいは全く絵による情報が無い場合も珍しくありません。
文章から想像するしかありませんが、誰が読んでも同一イメージを思い浮かべるような文章というのはまずあり得ないですよね。同じ文章を読んだとしても、読者がイメージするキャラクターはそれぞれ異なっているわけです。

そして、ラノベの定義論なんかで”読む時に思い浮かべるのがアニメ調であればラノベ”という意見を見かけたりするように、逆に言えば一般文芸を読んでアニメ絵のキャラクターを想像する人はごく少数でしょう。

そのため一般文芸作品を”そのまま”アニメ化するとなれば、自然と実写的な絵作りにならざるを得ません。ですがたとえ実写的な絵作りをしたところで、読者が思い描くイメージはバラバラですから、それが受け入れるかはわからないのです。
(たとえば、おそらく実写的な絵作りがされているアニメ『戦闘妖精雪風』のビジュアルを私が受け入れられなかったように。)

さらにいえば、実写的な絵作りのアニメは”アニメっぽくない”ということに繋がりかねません。そしてそういった作品はアニメファンからは受け入れられにくかったりするのです。*2

一般文芸アニメ化の現状

このように、一般文芸を”そのまま”アニメ化するというのは、原作ファンにもアニメファンにも受け入れられない危険性があります。

アニメ的なビジュアル

この問題を回避するための一つの方法として、アニメならではの特異なビジュアルで原作を見せるという方法があるように思います。(キャラクターのみに限らず。)
アニメファンに受け入れられるデザインをするということです。


具体的にひとつ作品名をあげると『空中ブランコ』(2009年/原作:奥田英朗)。

アニメ的表現に振り切った作品だと思います。(アニメ的を超えて別のモノになっている気もしますが。)
この作品には実写映像が使われている場面が多いですが、原作の雰囲気を再現するためではないと思います。

他に最近の作品で言えば『氷菓』、『ハルチカ』、『有頂天家族』など。

ビジュアルを付け足す

アニメ的なビジュアルでのデザインをした後に行われたりするのが、元々一定したビジュアルイメージの無かった作品にビジュアルを付け足すという荒業です。
アニメ版仕様のカバーを新たにかけるというのがその代表例です。

氷菓』や『屍者の帝国』、『ジョーカー・ゲーム』などなど。アニメ版カバーの重ねがけの例はたくさんあります。
重ねがけのみならずまるごと変えてしまうパターンも。例えば『四畳半神話大系』は元々はアニメ絵の表紙では無かったですよね。


個人的にはこれらは良い手法なんじゃないかと思っています。アニメにも興味ある層には一定したイメージを提供するし、アニメに興味ない層はたとえアニメ絵の表紙が付いていたところで、読むときには実写で想像する(=読者のイメージを制限しない)んじゃないでしょうか。あくまで私の推測でしかありませんが。

ただ一つ問題があって、アニメ化が決定してからカバーを掛け直しても、大多数の原作ファンは既にそれぞれのイメージを持ってしまっています。なので原作ファンのアニメビジュアルに対する違和感を取り除くことにはあまり効果が無いだろうということです。
・・・アレ? これ致命的な問題じゃない?

今期アニメ『ジョーカー・ゲーム』について

余談ですが、現在放送中の深夜アニメ『ジョーカー・ゲーム』は原作小説を忠実に、”そのまま”=実写的にアニメ化されているように感じます。
このアニメのキャラクタービジュアルに関してはおそらく、元からの原作ファンでも大きな違和感を感じなかったのではないかと思います。かく言う私も原作既読でしたが、特に大きな違和感は感じませんでした。

これは『ジョーカー・ゲーム』という作品によるものだと思います。スパイものというジャンルの性質上、変装やら偽名やらでキャラクターの把握をする必要性の薄い作品ですし、それゆえキャラクターについての具体的なイメージを思い浮かべにくいのです。さらにいえば、スパイとしては地味な格好をせざるを得ないので、イメージするにしてもある程度の方向性は定まっています。

これは言い換えるとキャラクター性を前面に押しにくいということでもあります。(あくまでビジュアル面に限った話ですが、そもそもアニメ化に向いていないということ。)

そういったことから、アニメファンに受けるかはわからないけど原作ファンにはうけるだろうという『ジョーカー・ゲーム』の実写的な絵作りのアニメ化は、なるべくしてなったということでしょうね。


ところが面白いことに、このアニメは第5話にして、アニメっぽいビジュアルでキャラクター性を前面に押し出したキャラが登場しているんですが、Production I.Gはいったい何を考えているんでしょうね。中途半端にアニメっぽくするなんて不思議です。あのキャラクターを原作ファンは受け入れられたのか気になります。というか原作未読でもあのキャラには違和感抱きそうだけどどうなのかな。

一般文芸アニメ化のこれから

このような現状、ビジュアルについて言えば、アニメファンにも受け入れられるような形での一般文芸のアニメ化は、アニメっぽいビジュアルにすることが大事です。

そこから、一般文芸の”そのまま”のアニメ化がアニメファンにも原作ファンにも受け入れられるためには実写的な絵作りをアニメファンが受け入れられるようになるか一般文芸サイドがアニメっぽいビジュアルを元から備えるようになる必要がありそうです。

前者についてはアニメファン自体の総数が増えなければ難しそう。
後者については、これが理由の一つとなってライト文芸なるものの登場(増加)に繋がったのではないかなと思ってみたりするのですが、話がまとまらなくなるので掘り下げるのはやめておきます。

まとめ

以上、ビジュアルという視点から一般文芸のアニメ化について考えてみました。

本当は、アームストロング少佐をイメージしてたのに全然違う! なにコレ面白い! っていうのを伝えたいがために書き始めた記事だったんですが、変な方向にいってしまいました。

結局のところ、一般文芸って読者それぞれの持つイメージが全然違ったりするから、そのままのアニメ化が難しい、という当たり前な事を実感したという話です。

そして文庫にアニメ絵のカバーがついててもそれは、アニメに対する違和感を出来るだけ取り除こうという企業努力(であり宣伝)なので、アニメ絵表紙とか買いづらいんだよコノヤローとか思わないであげてよってことです。



ちなみに一般文芸のアニメ化が少ない理由としては、そもそもメディアミックスに積極的なのって角川くらいだったり、ラノベと比べるとはるかにシリーズ物が少なかったり、アニメ化が前提な面を持つラノベが豊富にあるのにわざわざリスクのある一般文芸アニメ化しなくていいじゃんっといったことのほうが大きいと思います。

この辺りはいずれまた記事にしてみたいところですね。


そういえば記事冒頭でも触れましたけど、レーベル的には一般文芸である『戯言シリーズ』/西尾維新(講談社文庫)*3がアニメ化決定したそうですね。
ビジュアル的にいえば表紙が元からアニメ絵なので上で書いてきたような問題は起こらないと思いますが、ストーリー的に受け入れられるのかなぁと今から不安です。
というか色んな人(自分含む)の中二病黒歴史をつんつん刺激しそうで恐ろしいですね。


<関連記事>
dondontyakutyaku.hatenablog.com

*1:この記事中ではラノベの定義はわかりやすく”そのままアニメ化できるイラストをもつモノ”とします。つまり戯言シリーズラノベだった・・・?

*2:ただし、ビジュアルだけでアニメっぽさが決まるわけではありません。

*3:いやもしかしたら”西尾維新文庫”という肩書が付いているのでレーベル的にもラノベなのかもしれないけど