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【考察】『無彩限のファントム・ワールド』 3話までの考察 ファントムの正体・1話冒頭の意味

無彩限のファントムワールドというアニメにおいて、重要な存在であるファントム。
しかし、その正体はよくわかりません。

そんなファントムの正体について、アニメ3話までの情報を元に、考察してみたいと思います。
*ネタバレ注意*
まとめの部分少し加筆しました。(1/26)

ファントムとは

『ウィルス流出事故によって人々の脳に変化が起き、それまで虚構だと思われていた魔物や妖怪などの存在が誰の目にも見えるようになった。それがファントムです。』2話より

1話では電信柱、2話ではロボットとUFO、3話では人型で成長もするファントムが登場しました。このように、生物・無生物問わず、実在しないものまでファントムとして出現するようです。

クオリアは関係する?

本編ではしきりに認識について触れています。そこから、
実は主人公達が見ているファントムはそれぞれの好き勝手な妄想であり、別のものが見ているんじゃないか(クオリアの問題)?
あるいは、本当に物理干渉してるの?なんて疑問が湧いてきます。

ですが、1話では主人公がファントムの絵を描き舞に見せていたり、他の話でもそれぞれのファントムの認識は共有されていることは明らかです。もちろんクオリアが違うかも、なんていう問題はそんなことで否定されるほど単純な問題ではありませんが、このアニメで関係してくることはないでしょうね。

物理干渉に関してですが、1話ではファントムによって学校の時計が破壊されていますし、電波障害も起きているそうです。他の話でも実体を持っているように描かれています。

ファントムの認識が共有されており、物理干渉している(ように見える)となっては、実際に実体を持ったファントムが存在しているとするべきかもしれません。ですが、もう一つ可能性があります。

集合的無意識の実体化あるいは可視化

集合的無意識とは3話でも登場しましたが、ざっくりと説明すれば、個や民族を超え、生まれた時から持っている、人類の集団としての知識のことです(詳しくはググってみてください)。この言葉が非常に重要になってくるのではないかと思います。

ファントムが見えるようになったのは、集団的無意識の実体化、つまり人類が皆で無意識のうちに共有しているイメージが実体化されたということではないでしょうか。

あるいはイメージの可視化、すなわち、人類皆で同じ幻覚を見ているとすれば、物理的に干渉できる必要はありません。

1話冒頭の意味

ここで1話冒頭、晴彦がルルに起こされるシーンを振り返ってみます。

ルルが晴彦のまぶたを押し開き、晴彦が目覚めます。ルルも含め、周りはモザイク状になっていますが、晴彦が認識するに従い、明瞭になっていきます。

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©秦野宗一郎・京都アニメーション/無彩限の製作委員会

これはつまり、晴彦の部屋やルルといった存在は、非常にパーソナルなものであり、集合的無意識に含まれていないために、晴彦が認識し、イメージすることによって、明瞭な存在となっていったということではないでしょうか。

ルルがまぶたを押し開けるシーンは、視聴者に、晴彦視点の映像だと強く認識させるための演出でしょう。

晴彦が学校へ向かう通り道やモノレールがモザイク状になっていないのは、複数の人間によって、明確にイメージが形作られているからでしょうね。

ということは、人々が思い描くイメージが変わってしまえば、そのものも変わってしまうということで、作中世界は非常に不安定で危険な世界といえるかもしれません。

まとめ

ファントムは集合的無意識が見えるようになったものだと思います。
と、言うより人類が皆、集合的無意識を通して世界を認識するようになってしまった。世界すべてがファントムになってしまったようなものです。

そのため、人々がそこにいると思えば、ファントムはそこに現れるし、ファントムが物を破壊したと思えば、破壊されているように皆感じてしまうのです。人々には美しく整備された都市が見えているが、実際には荒廃した都市で生活している、なんて可能性もありえます。

こうなってしまった原因は作中で説明されているように、ウィルス感染ということになります。もし、このウィルスがヒトにしか感染しないとすれば、ファントムに対する反応にヒトとその他の動物とで齟齬が生じるはずです。あるいは、集合的無意識が関わっているのであれば、人類とその他動物とで無意識が共有されているとは考えにくいので、やっぱり齟齬が生じるはずです。
しかし残念ながら、作中にはまだ動物は登場していません。

人類が皆同じ妄想を見ているなんて、アニメでやりそうな話には思えませんが・・・。原作では明かされているんですかね。

上でルルがまぶたを開けるシーンは視点人物を明らかにするため~なんて書いていますが、単にルルの小ささをアピールするためであるという可能性も、もちろんあります。

余談ですが、集合的無意識というと、神林長平が真っ先に思い浮かびますが、最近のSFでも題材になっていたりするんでしょうか?グレッグ・イーガンの短編の主人公が似非科学扱いしてたのは非常に印象に残っていますが。


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