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異世界転生モノの3つの特徴と考察。必ずしもテンプレは手抜ではない

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http://yomou.syosetu.com/rank/list/type/total_total/より

小説家になろう」では異世界転生・転移”が含まれる小説だけの独立したランキングがあって、しかも総合ランキングと同列に扱われてるって知ってました? 私は最近まで知らなかったです。
それほど隆盛ぶりがすさまじい異世界転生モノですが、なにかとテンプレとかで批判されがちです。しかしながら、いくつか作品を読むうちに、実はテンプレにする物語上の必然性があるのではないかと私は思うようになりました。


そこで、この記事では、そんな異世界転生モノに共通する3つの特徴の分析・考察をしてみたいと思います。その特徴から、異世界転生モノにテンプレが多い理由、そして必ずしもテンプレは手抜きではないなと感じた理由を説明してみます。
最終的には、それらの特徴をふまえて『灰と幻想のグリムガル』の考察もしてみます。

*いちいち転生・転移・召喚とか書くのはまどろっこしいので”転生”とひとくくりにしてます。

異世界転生モノに対するいくつかの言説

まず、異世界転生モノに対する言説を4つ紹介します。

  • 異世界転生モノは願望を充足させる物語である
  • ・  〃   における異世界は社会の暗喩である
  • ・  〃   は白人酋長モノのひとつの類型である
  • ・  〃   はゲーム実況的である

詳しい説明は省きますが、これらにはそれぞれ一定の説得力がありますし、実際にそのような物語もあると思います。個人的には特に”ゲーム実況的”というのは面白い指摘だと思いました。

しかしながら、これらはどれも異世界転生モノに共通する指摘ではありません。そもそも、”願望を満たす物語”と”異世界を社会の暗喩として描き、そこで苦悩しながら適応していく物語”というのは同時には成立しえないですよね。

なぜこのような相反する意見が同時に存在するのかと言えば、それぞれのいう「異世界転生モノ」とは、それぞれの思い描く「異世界テンプレ」を指しているからです。

異世界に転生するという物語の導入は、その後の展開を規定しないし、そして”異世界テンプレ”は人によって解釈が異なるために齟齬が生じてしまいます。
人によって思い描くテンプレが違うって、それはもはやテンプレじゃないじゃんとは思いますが、しかし確かにテンプレがあるかのような似た設定・展開が多くみられるのもまた実感としてある事実だと思います。*1

異世界転生モノと異世界テンプレ

というわけで、この記事では”異世界転生モノ”と”異世界テンプレ”とを使い分けていきますので、それぞれ何を指しているのか説明します。

異世界転生モノ”とは、主人公が異世界へ一方向的に転移・転生などの手段で移動するという導入を含むラノベ・アニメ作品のこと。

ここでいう”異世界”とは、主人公が元いた世界とは大きく異なる世界、例えば『ソードアートオンライン』や『オーバーロード』のようなゲーム型異世界系も含みます。
”一方向的”はそのままの意味で、ほとんどありませんが元の世界にいつでも帰ってこられる作品は除きます。(例えば『GATE』や『.hack』)
ラノベ”とはweb小説含む広義のラノベです。ようするにファンタジー文学である『ナルニア国物語』や『火星のプリンセス』とかは含まないということです。


異世界テンプレ”は、おおざっぱに主人公が異世界でチート能力を駆使して活躍する物語としておきます。
当然、異世界テンプレは異世界転生モノに含まれます。


この記事で主に考察するのは”異世界転生モノ”の特徴、つまり異世界転生による導入という構造を持つ物語群の特徴についてです。とはいえ、異世界テンプレについても少し言及するので、とりあえずの定義を示しておきました。

異世界転生モノの構造と特徴 (本題)

ようやく本題に入りますが、まず結論から。
異世界転生モノは読者の主人公への没入感を高める構造的な特徴があると思います。

その特徴というのは、異世界=世界観のフィクション性の高さです。
そしてそれは読者の自己反省を生み、また主人公のメタ視点性を強化しています。

読者に主人公への効率的な感情移入をさせ、共感させるような構造。
それぞれ詳しく見ていきます。(必ずしもすべての異世界転生モノにあてはまるわけではありませんが、その点については記事後半で説明します。)

異世界のフィクション性

異世界転生モノの作品群における、大きな特徴として異世界=世界観の設定が非常に似通っているという点があります。それはさながらシェアワールドかと思うほど。

そんな異世界は多くの場合、とてもゲーム的な世界観をしていて、読者にとって非常になじみのある世界、既視感の強い世界です。ともすれば主人公はその異世界の事を「お決まりの中世風」とすら評する場合もありますし、ゲーム世界でもないのにステータスやスキルが見える世界というのも珍しくありません。

そして転生に至るまでの流れにもテンプレがあります。
トラックに轢かれて転生、そして神様的存在と出会って能力を授かることも……というのがテンプレとして知られていますよね。


テンプレによって導かれるゲーム的で既視感の強い世界。

それは、作品における異世界がフィクションであるという事を強く読者に意識させ、世界観そのもののフィクション性を強調します。
このフィクション性の高さは、ラノベやアニメ一般、例えば『俺妹』のような自己言及的な作品やいわゆる学園異能モノにも見られますが(学園異能における”学園”は、”小さな異世界”とも見立てられます。)、特に異世界転生モノに強く表れています。
異世界のフィクション性=虚構性が極限まで高められたタイプがゲーム型異世界転生モノですね。

このことこそが、世界観設定のみならず、転生の過程、そしてその後の展開にもテンプレが多い一つの理由なのではないかと思います。
つまり、テンプレに従い既視感が強ければ強いほど、そのフィクション性が増すからです。
こういったテンプレの性質と、Web小説(というか「なろう」)の性質が合わさって、これほどにテンプレが隆盛したのではないかと思います。


さて、それではこのフィクション性の高さが作品にもたらすものは一体なんなのか。

それが主人公のメタ視点性と読者の自己反省の構造、ひいては読者の主人公への効率的な没入です。

主人公のメタ視点性

フィクション性が高いと書きました。
注意してほしいのは、フィクション性が強調されているのは作品(フィクション)そのもののではなく、作品を作り上げている一つの要素であるところの世界観としての異世界、もっといえば主人公以外の要素のフィクション性であるということです。
なぜなら、異世界転生モノは、実は主人公の設定に凝っている作品が多く、テンプレ的で既視感が強いのは主人公ではなく、転生するまでの展開やその先にある異世界であるからです。

フィクションの中で一部分のフィクション性をことさら強調する。
これはメタフィクショナルな方法にも見えますが、しかしそれは読者を作品の中に、さらにいえば主人公に近づける効果を持っています。

既視感が強く、虚構性の高い異世界に対して、読者と非常に近い感覚*2でもって戸惑い、驚き、分析する主人公。
それは作品を消費する読者における、異世界に対する視線と非常に近いと言えるでしょう。これが主人公のメタ視点性です。*3

当然のことながら、この主人公と読者の視点の近さは、読者の主人公への感情移入・没入を効率化します*4

ちなみに、上で触れた異世界転生モノに対する4つの指摘のうち、”ゲーム実況的物語である”という指摘はこの主人公のメタ視点性と関係が深いように思います。
ゲーム実況的というのは、物語の主人公をゲーム実況者=プレイヤーと見立てた解釈ですが、主人公の視点のレベルが世界観よりも読者に近いという事を示していますね。

読者の自己反省

次に作品への没入感を高める、読者の自己反省の構造について。

読者の自己反省の構造とは、反省を間に挟むことによって、作品に没入する上での罪悪感や責任感を軽減し、欲望を強化する構造のことです。
なんのこっちゃという感じですが、これについて一から説明していくと非常に長くなってしまうので、非常にわかりやすい例を『セカイ系とは何か』/前島賢 という本から引用します。

前略…これ(引用者注:自己反省の構造のこと)は古今東西の物語に普遍的な構造である。
 『機動戦士ガンダム』などのロボットアニメを見る視聴者は、端的に言えばロボット同士の戦争を楽しんでいる。にもかかわらず、そのことは明言されず、むしろ主人公たちは、反戦や平和主義を叫んで戦う。このような構造にも「戦争は悪である」という反省の身振りを挟むことで、むしろ安心して戦争を娯楽として楽しめるようになる…後略
セカイ系とは何か』p202

つまり、読者の自己反省は、作品にのめり込む際に障害となるような自らが持つ”視線”(上の例でいえば「戦争を楽しむなんて!」)に対する一種の反論、悪く言えば言い訳のようなものです。

引用箇所で指摘されている通り、読者の自己反省の構造は物語一般に普遍的に見られる構造であり、異世界転生モノにも見出すことが出来ると私は思います。


一般的に、フィクションと現実の区別が付かない人間は問題のある人だと思われますよね。
時折、「オタクはフィクションと現実の区別がついていない!」なんていうヒドイ主張をいまだに見かけたりするわけですが、残念ながらオタク文化にはそういった視線がついて回るのです。
その視線は、主人公に深く没入し感情移入・共感することを阻みます。

もちろんこれ以外にも様々な障害となるような自らが持つ”視線”がありますが、それに対する異世界転生モノを楽しむ読者が持つ反論はこうです。
「作品がフィクション=妄想なんて事はわかってるよ」

上で書いたように異世界転生モノにおける異世界は、非常にフィクション性が強調されています。
読者はそれにより、作品自体のフィクション性を改めて強く認識し、だからこそ安心して深く作品に没入することが出来るのです。

フィクション(作品)がフィクション=虚構=妄想であることを織り込み済みにし、むしろ虚構であるからこそ没入を効率的にする構造。
これが異世界転生モノの持つ、読者の自己反省の構造(の一類型)です。

異世界転生モノの最重要要素

ここまでで明らかなように、異世界転生モノにおける一番重要な要素は、「主人公の設定」です。

いくつか読んでみるとわかりますが、異世界転生モノは、ファンタジー世界の設定に凝る方向ではなく、主人公の設定に重きを置く方向へと突き進んでいます。
蜘蛛だったり、スライムだったり、ゲーマーだったり、令嬢だったり・・・。他にもあげればキリがありませんし、例えば令嬢ひとつとっても、設定には様々なものがあり、工夫が凝らされているように思います。


主人公に没入しやすい物語において、バリエーション豊かな主人公のフィルターを通して異世界を見る。
これが異世界転生モノの楽しさのひとつなのです。(あくまで一つの楽しみ方です。)

これに対して、こんな意見が出るかもしれません。”異世界転生モノは、画一的なファンタジー世界設定にする強い理由(例えば世界観の考証・描写が不要)があって、テンプレ的世界設定になっている。だからこそ主人公の設定に凝るんじゃん”という意見。

これは全く正しいと思います。
しかしこの意見と、”主人公の設定が大事だから設定に凝る”ということは排反ではありませんし、同時に成り立っているのではないかと私は考えています。

まとめ

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というわけで、異世界転生モノの3つの特徴について考察してきました。
3つの特徴とは、まず①異世界のフィクション性の高さ。そしてこれを親として生まれるのが、②主人公のメタ視点性と③読者の自己反省の構造です。
これらの構造により、異世界転生モノは読者の主人公への効率的な没入・感情移入が可能になるのです。

これをふまえると、異世界転生モノに一人称小説が多いのは主人公への没入のためなのではないかとも思えてきます。


さて、ここまで世界観のフィクション性の高さを異世界転生モノに共通する構造だと説明してきました。しかし、実際には確かなリアリティを持つ世界観をしている作品も中にはありますよね。
例えば『灰と幻想のグリムガル』です。今年の春アニメとして放映された作品ですが、あちこちで「リアルだ」という感想を見ましたし、私自身リアルな世界だと感じました。これは異世界転生モノはフィクション性=虚構性が高いという私の主張に反するように見えます。
このことからわかることは、どうやら転生・転移による導入のほかにも、世界観のフィクション性を得るための必要条件がありそうだ、ということです。

その条件を『灰と幻想のグリムガル』のリアリティをその物語導入について考察しながら考えてみたいと思います。が!
いい加減記事が長いので、それはまた別の記事で!

最後に

最後は駆け足気味になってしまいましたが、テンプレにも虚構性を得るため、という作品上の必然性があるのではないか、だから必ずしも手抜きではないのではないか、というのが私の結論です。
出来るだけ演繹的に話を進めてきたつもりですが、いかかでしたか。

誤解してほしくないのですが、私はこの記事で異世界転生モノを肯定も否定もするつもりもありませんし、異世界転生モノの楽しみ方は主人公に感情移入することだけだとも、『グリムガル』にはリアリティがあるから素晴らしくて、他の作品は虚構性が高いからダメだとも言いたいわけではありません。

そして、手抜きではないからテンプレは許されるべきだと言いたいわけでもありません。

ただ単純に、今流行りの異世界転生モノの特徴について考えてみたということです。
というわけで最後にもう一度、その特徴をまとめておきます。

異世界転生モノには、構造的特徴が3つあります。
それは異世界のフィクション性の高さ。そしてそれから生まれる②主人公のメタ視点性と③読者の自己反省の構造です。
これらの特徴により、読者は主人公へ効率的に感情移入・没入できるのだと思います。


記事中で引用した本です。


<関連記事>
dondontyakutyaku.hatenablog.com

dondontyakutyaku.hatenablog.com

*1:それぞれの「テンプレ」が違うのは、単純にサンプルが違うからだと思います。なにせ長大な作品が多く、数を読むのは難しいので。

*2:異世界転生モノの主人公は大抵、というか私が知るかぎり日本人です。

*3:説明のとおり、ここでいう「メタ」とは厳密な意味でのメタではなく、異世界転生モノはもちろんメタフィクションではありません。

*4:より細かく考えると、このメタ視点性は世界観のフィクション性とは別に立ち現われていると思います。メタ視点性は世界観のフィクション性を強化しますし、逆もまたあります。つまり、メタ視点性とフィクション性は相乗効果を発揮しているのではないかと思います。